タムケンブログ

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「仕事ができないのは罪」であり、同時に…


「仕事ができる人に相応の対価を払わないのも罪」とか思った

会社に搾取されずにいかに会社を搾取するかというノウハウに磨きをかけている時間は全く無意味だと思う。

を読んで思い出した事がありまして。

「仕事が出来ないのは罪」?

この言葉は僕がITベンチャーでインターンしていた頃の上司に言われていた事です。仕事の目標は達成して当たり前。達成できなかったら号泣するくらいの覚悟でやらなければならない。仕事が出来ないのは罪だ、と。

当時は上司の言われた事をもりもりこなし、時々改善提案したり、色んな業務観察したりで忙しくてこのことについてディスカッションすることができなかったので真意はわかりませんが、自分なりに解釈するとこれはかなり正しいんじゃないかと思ったりしました。このエントリではこの解釈について徒然と書いてみようかと。

給与分働けないのは会社に対する罪である、か

例えば、年収1000万の人がいたとして、その人がそれだけ会社に利益をもたらせるような生産性を持っていなかった(=仕事が出来なかった)としたらそれは会社に対する罪ですよね。将来性を含めた価格と考えても、それだけ現在利益に反映していないけれども高確度で将来利益を生み出すナレッジやらなんやらを溜めるなりシェアするなりしなくちゃいけない。そんな解釈が一つ出来ますよね。
派遣社員はその面ではリアルですね。コスト分の利益出せなきゃいつでもカットされる。

給与分働くインセンティブが無い雇用体系は罪である、か

では逆に、上記の罪を減らす為に雇用主がすべきことは何かといったら、給与分働いてもサボってもいいって環境にしないこととかありますよね。罪をきちんと罰する。こうすることで個人が会社から搾取する事も、会社が個人を搾取する事もない体系ができあがる。これはお互いにとって適切なエネルギーを相手の利益の為に割ける(無駄なエネルギーを消費しない)という点で相互ハッピー関係が確立され、健全な関係になると考えられますよね。

イコール、仕事ができる人に相応の対価を払わないという罪(しゃべりたかったこと)

「会社に搾取されずにいかに会社を搾取するか」を考えるという事は、そのほうが正当に成果上げてそれに見合う相当の対価を受け取るよりもそっちのがいい、と思ってしまっているから。その遠因として、仕事が出来る人に相応の対価を払わないという経営者ないし企業の罪が存在しうるのではないか、という当たり前な事が言いたくて長々と書いてしまった。

再掲。

会社に搾取されずにいかに会社を搾取するかというノウハウに磨きをかけている時間は全く無意味だと思う。

無意味じゃなくするには、経営者が成果に対して正当な報酬を支払うコミットメントをする事。これで「会社を搾取する」なんてことを考えられる優秀な労働者の最適な戦略は「会社のリソース利用して成果上げて報酬がっぽり、企業も潤ってがっぽり」になる。ほら、あれは無意味だった。なんてね。


ちょっと暇だと下らない事を妄想してしまってよくない。
次こそまともなエントリかきます。